テクニカルノート

大攪乱!

文:佐竹 一秀 2011年4月1日

東日本大震災後

悪夢とはまさにこれです。
夢ならさめて!と叫ばずにはいられませんでした。

名取川の河口部、右岸側の名取市閖上地区の堤防上から市街地方向を見ています。(凄まじい光景ですので写真は示しません)。次の写真は、川向こうの井戸浦を映したものです。

名取川河口部井戸浦の景観(対岸の閖上より撮影)
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2009年9月

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2011年3月

上は一昨年秋、下は震災後です。左側が上流側、右側が河口側(海側です)。
左側のこんもりした所の奥を、貞山堀が通っています。時期が違いますので比較しづらいのですが、震災前は左側のこんもりした所に広葉樹の比較的大きな木や、低木、ササなどが生い茂っており、その奥に防風・防潮林が見えます。また海側も少し高くなっており松林やヨシ原がみえます。それが地震後の大津波で全体的に低くなり(太平洋岸一体が沈下してと言われていますので、その状況が現れています)、倒伏してなくなった松やヨシ原、特に手前のヨシ原は砂地となっています。こんもりした所の広葉樹の高木はかろうじて立っていますが、下はササが変色してしまっています。また小さくて見えにくいのですが、井戸浦の浦奥が津波により削り取られ、外海と直接つながってしまいました。

失われた汽水環境と、小さな生きものたち

大津波の直接的な被害もさることながら、いままで止水的な汽水環境が、地震後は太平洋の荒波が打ち寄せる砂浜になってしまいました。当然そこに棲んでいた小さな生物はこの急激な環境変化に対応できるはずもなく、滅んでしまったと思います。また、新たに創出された波の打ちよせる環境に適応した種が棲み着くと思います。このような攪乱は生物の長い歴史からすれば、何度となく起こっており、そのたびに環境に適応した種が生き延びて、震災前の井戸浦の生物相を創り続けてきました。(何度となく起こっていることではありますが、何も今この時に起こらなくてもよいのでは…、まして多くの人命を奪い、人間の生活基盤を奪う必要はないのでは…)

攪乱の自然外の要素

自然の大きな力で、なにもかも無にする大きな攪乱でしたが、過去の歴史とは少し違った回復、あるいは変化が起こるのではと、危惧しています。被災した石油コンビナートは黒煙と炎を上げ燃え続け、広大なため池と化した海水入りの水田には破損した自動車や船、そのほか様々な物を含んだ瓦礫などが浸かっている…そんな映像を見るにつけ、生態系・生物多様性へ大きな影響を与えることなく、回復することを望みます。ここ100年程の間にもともとは自然界に無かった工業製品や化学薬品が作られ・使われて、今回の攪乱で生物の生息生育環境に混在してしまいました。それらの多くは難分解性であり、なかには有害なものもあります。また、福島原発もとても気になります。

生物多様性を視野に入れた復興を

私自身、生物相手の仕事をしていますが、今回の災害では生物は二の次、三の次、さらにその下でした。まずは人命が第一、その次は助かった人達が生活の維持、被災していない人たちについても二次的な影響の低減化等々。盛んに生物多様性の重要性が問われていましたが、それは人間生活の安全・安定が保証されている上に成り立っている話でした。その事をしっかりと再確認できました。ただ、可能な限り生物多様性も視野に入れた復興を行なうことが、復興・再生後の生活もよりよいものにすることが出来ると思います。

季節とともに蘇る自然
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オオヨシキリ:夏鳥

被災後の写真撮影時の名取川河口ではヒバリが囀っていましたし、カモ達も北帰行の準備をしていました。少し上流では3/28に夏鳥のイワツバメを見たとの情報もあります。千年に1度の大震災が起きても、季節は今までと変わりなく廻ってきます。あと一ヶ月もすれば、津波をかぶったヨシ原も、芽を出し緑に変わっていく(ダメージはあり面積が少なくなってしまうかもしれませんが)と思いますし、そこには南方から渡来したオオヨシキリ(文頭の写真)が、ギョギョシ・ギョギョシとうるさいくらいの囀りを聞かせてくれると思います。季節の一つ一つを大切にし、じっくりとしっかりと復興に向けて行動していきたいと思います。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。

※本記事は、NPO法人環境生態工学研究所発行のニュースレターに寄稿したものです。
※WEB用に多少表記を変えております。また、日付はニュースレターの発行日になります。


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