テクニカルノート

街路樹の思い!

文:佐竹 一秀 2015年12月1日
(WEB公開:2018年12月1日)

街路樹の剪定

私の通勤路の南仙台駅前の通りやその周辺には、街路樹として主にシラカシとトウカエデが植栽されています。夏は直射日光を遮ってくれて、とてもありがたいのですが、チョッと繁茂し過ぎたようで、10月下旬頃から剪定が行われていました。

左の写真が剪定前、右が剪定後(道路奥の車は剪定中の高所作業車)ですが、これからの季節を考えると、ちょっとやりすぎではとも思ってしまいます。また、下木のウバメガシは枝が伸びすぎでしたので、これもきれいに剪定されました。

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    剪定前のシラカシ

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    剪定後のシラカシと下木のウバメガシ

備長炭になる木がガードレールに

ウバメガシは神奈川県以南に自生する常緑のカシ類で、海岸林の重要な構成種となっています。乾燥や刈り込みに強いことから街路樹にもよく使われ、その材質は密で硬く、また備長炭の材料となることでよく知られています。高さは20m近くまで成長しますが、通常は5~6m程度の低木の場合が多いようです。

ここ仙台は本来の生育地ではありません。暖かい場所で暮らせるはずだったのに、このような寒い場所に植えられて、時々刈り込まれ、雪や融雪剤交じりの泥水をかぶり、そして最も悲しいことは、大好物のウナギや、焼き鳥を焼くこともできずに、成長途中の中途半端な時期に切り刻まれ、廃棄物として捨てられる…ことではないかと勝手に思っています。街路樹の下木にはガードレールの役割もあると思います。材質が硬いことで、交通事故で飛び込んできた自動車のショックを和らげてくれる効果も期待でき、それが下木に選ばれた理由にもなっていると思います。こうしてみると、たかが街路樹の下木ではありません。ウバメガシ!なかなか素晴らしい奴ではありませんか…。

見通し確保のための剪定法
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剪定されたウバメガシ

右の写真は刈り込まれたウバメガシです。奥側は伸びた枝を切り揃えただけですが、手前側はさらに半分程度の高さに切り込まれています。これは、側道から車が来た場合の見通しの確保と思われます。最近このような刈り込みが特に目に付くようになりました。現状ではとても痛々しいのですが、春になるとしっかりと枝を伸ばします。

かつては道しるべだった樹木

今でこそ街路樹(並木)は景観上の理由で重要視されていますが、古い時代には通行人や旅人が目的地を間違えないための目印、「道しるべ」として、道路の位置を定めることが主目的になっていたと思います。今のように舗装された道路が縦横に走っているのとは違い、ましてやカーナビ、GPSなどがない時代です。施策として街路樹が整備されたのは、奈良時代の759年(天平宝字3年)です。中国(当時は唐)に20有余年留学して帰国した東大寺の普照和尚の進言により「応畿内七道諸国駅路両辺種菓樹事」という法令が制定されました。内容は調べてみないとわかりませんが、タイトルを見ただけで何となく伝わりますね。その後、江戸時代には江戸と各地を結ぶ街道筋や社寺の参道にマツやスギが植えられ、日光の杉並木などが現存しています。

仙台の街路樹の歴史

1695年(元禄8年)、四代藩主伊達綱村が榴ヶ岡に釈迦堂を建て、周辺にシダレザクラ、カエデ、マツなど千本余りを植栽しました。これが仙台における街路樹の始まりと言われています。

1887年(明治20年)には東北本線が上野から塩釜まで開通し、仙台駅が現在の場所に作られ、これに関連して南町通りの4m弱だった道幅が一挙に17mにされました。その四年後に呉服商の大内屋八代源右衛門によって、道脇にヤナギとサクラがとり混ぜて植えられましたが、残念ながら現在は全く残っていないとのことです。

1929年(昭和4年)には仙台の豪商五代八木久兵衛が先代の遺志を継いで、私有地の山林「越路山」の開発に着手し、仙台城址、向山、西多賀からの道路も併せて整備し、街路樹としてソメイヨシノを中心に植えました。現在はほとんど枯死してしまいましたが、向山からの道路脇にはアカマツが現存しています。この越路山が現在の八木山です。

空襲で焼かれながらも…

このように個人による街路樹の整備が行われる一方で、(旧)都市計画法が1923年(大正12年)に施行され、38の都市計画路線が決定、それに伴い街路樹の整備も行われました、昭和の初めはイチョウとニセアカシアが多く植栽されましたが、終戦直前の仙台空襲で焼けてしまい、街路樹は半減してしまいました。その後の戦災復興では災害防止に主眼が置かれ、幹線道路を碁盤の目のように配置し、道路幅を広げることで、道に火災の際の防護帯の役割を持たせました。さらに、交通の安全、円滑化と併せて並木を整備し都市景観の向上を図りました。杜の都仙台のシンボルである、定禅寺通り、青葉通りのケヤキ並木、広瀬通り、愛宕上杉通りのイチョウ並木はその結果と言えます。

1973年(昭和48年)には自然との調和ある環境の創造を理念とした「杜の都の環境をつくる条例」が制定され、1975年(昭和50年)に青葉通・定禅寺通のケヤキが「保護樹林」に指定され、その後も各種調査や樹幹洗浄、活力剤の注入等の維持管理もしっかりと行われています。

仙台を象徴する街路樹
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定禅寺通りのケヤキ並木

定禅寺通りのケヤキ並木の下では、四季を通じてさまざまなイベントが催されています。春の若葉のトンネルのなかで踊られる「仙台青葉祭りのすずめ踊り」、夏には濃い緑の下での動く「七夕パレード」、秋には色づく木々の下での「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」、冬には美しい光の世界を演出する「仙台光のページェント」…。個人的には仙台ハーフマラソンで走る定禅寺通りが最高です。

間もなく光のページェントが開催されます。今年は地下鉄東西線の開通もあり、さらに盛り上がると思います。ここで光り輝くページェントの写真を載るべきですが、今年のものは当然ですがありません。準備の整ったケヤキ並木の写真を右にのせましたので、各自ご想像下さい。そして地下鉄に乗って見に行ってください。

  • 参考資料
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史特別篇1自然』(仙台市、p406-417、1994年)

※本記事は、NPO法人環境生態工学研究所発行のニュースレターに寄稿したものです。
※WEB用に多少表記を変えております。また、日付はニュースレターの発行日になります。


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