テクニカルノート

震災から5年…(1)ミズアオイ

文:佐竹 一秀 2016年4月1日
(WEB公開:2019年5月31日)

震災から時が経ち…

3月11日14時46分、会社で1分間の黙とうを捧げました。ずいぶん時間が経ったような気もしますが、震災直後の事も思い出します。自転車で見に行った閖上地区の惨状、雪の中の買出しの列、1日がかりで入手した10Lのガソリン、そして今まで仙台では見たことのなかったきれいな星空…。

東日本大震災の慰霊碑(名取市閖上)

東日本大震災の慰霊碑(名取市閖上)

「生態学から見た東日本大震災」

3月20日から24日、第63回日本生態学会が仙台国際センターをメイン会場に開催されました。初日の20日午後「生態学から見た東日本大震災」という公開講演会があり参加してきました。被災地域で調査を行ってきた研究者の5年間の活動を基に、大地震と津波が生物、生態系にどのような影響を与え、その後どのように変化してきたかを、一般向けに報告する会でした。500人分用意された椅子もほぼ満席で、立ち見の人も見られ、関心の高さがうかがわれました。

3時間の講演会では、5名の先生が報告されました。今回報告がなされなかった調査研究も多くあり、それらは発表された報告と併せて一冊の本にまとめられ、講演会参加者に配られました。「生態学が語る東日本大震災-自然界に何が起きたか-」という書籍です。

生物調査の意義

その本のまえがきに、震災直後、研究者の方々は生物調査を行うことは社会の要請とかけ離れているように感じられて、無力感を覚えたと書かれていました。私も生物調査を仕事としていますので、震災直後の閖上で目にした瓦礫の前で、同じような事を感じていました。この状況下で生物調査は何になる、人の命が、人の安全が確保された状態での環境調査や貴重種の保全、環境の再生等々ではないか。まずは人命が第一だ。復旧、復興が進んだところで、はじめて生物調査の仕事が出てくると思われ、それがいつになるのか震災直後は全く見当がつきませんでした。調査ができる状況になる前に会社がなくなるのでは…と本気で考えていました。

そのような状況のなか、研究者の方々は地道に調査を続け、被災地域の人から自然はどうなっているのか、回復してきたのかと尋ねる声もかけられるようになり、少しずつ意義を見出してきたといいます。また、「震災の年の夏は静かだった。カエルの鳴き声が聞からなかったから。カエルの声を聞いて、ここの夏がこんなにも賑やかなのがわかった」との住民の声が記憶に残っているとの一文もありました。本ニュースレターにも閖上地区のカエルの話を何回か書いてきました。昨年7月に「復活!『カエルの合唱』…」として、去年までの状況を報告しています。

区切りの年のまとめ

今回、震災から5年という区切りの年でもありますので、震災の影響が大きかったカエル類、湿地化した場所に大発生した貴重な植物のミズアオイ、そして防潮堤・防潮林の状況の3回にわけて取りあげます。場所は、私が鳥を観察しに通っている閖上から広浦、そして仙台空港の東側の地域とし、震災から5年間の変化をまとめてみます。第一弾としては上記の話題もあり、カエルの話が良いかとも思いましたが、昨年までの結果は一度報告しており、現在進行中の圃場整備の影響も把握したいので、今春の調査を待って6月に報告したいと思います。まずは湿地化した場所に多数出現した貴重な植物、ミズアオイについてです。

突然現れたミズアオイ
ミズアオイ

ミズアオイ

ミズアオイは震災後、岩手県から福島県にかけての津波を被った水路、湿地等に現れて咲いたという話が数多く聞かれました。本種はミズアオイ科ミズアオイ属の一年草で、沼や水田などに生育し、花被片はきれいな青紫色です。北海道~九州に分布していますが、近年では河川や水路の改修、除草剤の使用などで激減していて、「環境省第4次レッドリスト(環境省2012年)」の準絶滅危惧(NT)となっており、宮城県においても「宮城県の希少な野生動植物-宮城県レッドリスト2013年版-(宮城県2013年)」の絶滅危惧II類(VU)として掲載されている貴重種です。

ミズアオイの生存戦略

ミズアオイはひらけた明るい環境が好きで、そのような環境が出現するまで、種子を底泥や土壌中で休眠させています。そのため、今回のように津波による攪乱がおき、開放的な湿地が出現すると、一気に発芽し、花を咲かせ種子を残します。その後、他の植物が湿地に侵入しそれらが繁茂すると、自然に消えていきます。そのような戦略をとっている植物です。底泥や土壌中で休眠している種子を埋土種子(まいどしゅし)と呼びます。また、土壌中の埋土種子の集団をシードバンクと呼ぶこともあります。

経年変化

仙台空港の東側、太平洋に向かって誘導灯が設置されていますが、そのそばでミズアオイを多数確認していました。この場所の経年的な写真を写真①~⑥に示します。

  • 写真① 2011年11月13日(湿地状態)

    写真① 2011年11月13日
    (湿地状態)

  • 写真② 2012年8月17日(ミズアオイ繁茂)

    写真② 2012年8月17日
    (ミズアオイ繁茂)

写真①は震災後8ヶ月の湿地環境になった場所です。この時点では他の水草の進入はほとんどありませんので、開放的な環境を好むミズアオイにとっては生育適地です。写真②は震災後1年5ヶ月後の状況です。中央に緑色に見えているものが繁茂したミズアオイです。

  • 写真③ 2013年8月4日(雑草繁茂、ミズアオイ衰退)

    写真③ 2013年8月4日
    (雑草繁茂、ミズアオイ衰退)

  • 写真④ 2014年5月24日(客土?により裸地、乾燥化)

    写真④ 2014年5月24日
    (客土?により裸地、乾燥化)

写真③はその翌年(2013年)のほぼ同じ場所です。サンカクイやガマの仲間の植物が優占していて、そのなかによく見るとミズアオイがところどころに生育しています。また、排水路等の改修、整備も行われ、乾燥化が進行し始めています。写真④が2014年の同じ場所です。前述の通り圃場整備により整地されてしまい生育できません。埋土種子はどこに行ったのでしょうか。

水路内に生えたミズアオイ

水路内に生えたミズアオイ

その年(2014年)は道路を挟んだ東側に水路が通じており、そこでミズアオイの生育が確認されています。※右の写真→

写真⑤は昨年(2015年)の写真です。乾性の草本(イネ科等)に覆われており、南側の地域ではビニールハウスも再建され、小松菜等の野菜が栽培されはじめています。そして写真⑥が最近(2016.3)の写真です。畑地耕作を待っている状態です。

  • 写真⑤ 2015年8月30日(水路にミズアオイ生育)

    写真⑤ 2015年8月30日
    (水路にミズアオイ生育)

  • 写真⑥ 2016年3月27日(乾燥した畑地、作付前)

    写真⑥ 2016年3月27日
    (乾燥した畑地、作付前)

そのほかの湿地性植物たち

ミズアオイ以外にも各地で多くの湿地性の植物が確認されています。2011年から2013年にかけて行われた岩手県、宮城県、福島県の津波浸水区域内での調査では79ヶ所に及びました。最も多くの場所で確認されたのがミズアオイで40地点、次いでツツイトモ21地点、チャボイ15地点、その他ミクリ、タコノアシ、ミズオオバコ等の貴重種が確認されています。これらの確認種は1960年代から1980年代に行われた大規模な水田整備の時に埋土種子になり、今回の津波によるかく乱で発芽したものと考えられています。

ふたたび消えゆく貴重種

しかし、その後の農地の復旧事業や嵩上げ工事により湿地が埋め立てられ、せっかくの貴重種がここにきて急速に減っています。仙台空港の東側の畑地も、排水路の復旧がしっかりと行われたことで、以前よりも乾燥化が進んでいると思います。震災前にあった畑地と防潮林の境目の水たまりや、よどんだ水路は乾燥化してしまい、湿生、水生植物には厳しい環境となっています。今回の震災でシードバンクの存在を世に示してくれましたが、その後の再生の道筋は示せませんでした。とりあえず農地は前の状態に戻す。嵩上げもしっかりと行う、という流れのようです。確かに被災された方々の生活再建は待ったなしの最優先事項ですが、耕作地の一部に湿地を残し、種の保全、生物多様性の保全をはかれないものかと日々思っています。また、埋土種子をうまく利用することで、既に絶滅してしまった植物の復元や、遺伝子の多様性を増すこともできると思います。

千年規模の大震災、まだまだ復興途上です。今回、ミズアオイには埋土種子による生き残り戦略を教えてもらいました。私たちもよりよい未来を子供たちに残すべく、日々努力をして行きたいものです。

  • 参考資料
  • 日本生態学会東北地区会編『生態学が語る東日本大震災』(文一総合出版,2016年)

※本記事は、NPO法人環境生態工学研究所発行のニュースレターに寄稿したものです。
※WEB用に多少表記を変えております。また、日付はニュースレターの発行日になります。


前の記事 <<  >> 次の記事

←連載・E-TEC一覧へ戻る 記事一覧へ戻る△ ページの上部へ戻る▲