夏とともにやってきては去っていくセミ
そろそろ梅雨明けでしょうか。今年は暑かったり寒かったり、雨も九州では降り過ぎているのに、関東の水がめ周辺ではあまり降らずに渇水とのこと。相変わらず、人間の思ったようにはなりません。ただゲリラ豪雨は毎年の事。あっちこっちで時間雨量50ミリ、80ミリ、場合によっては100ミリ超えの、天界の雷様が風呂上がりにバスタブの栓を抜いたような、凄まじいとしか言いようのない雨を降らせています。そんな異常気象の中、今年はセミが早いというようなニュースをよく聞きます。記録に残してはいないのですが、ジョギング中の7月上旬にセミたちが鳴いていました。真夏の暑さがよく似合うアブラゼミやミンミンゼミ。どこか寂しげなヒグラシ。ヒグラシの声は特別で、夏休みが終わってしまうような、寂しいような悲しいような…。夏休みがなくなってからすでに50年、毎年思う不思議な感覚です。
セミ論争勃発
タイトルは江戸時代初期の俳人、松尾芭蕉の句です。ご存知の方も多いと思いますが、弟子の曽良と東北・北陸地方を旅した時に山形県山寺(立石寺)で詠みました。最初は「山寺や岩にしみつく蝉の声」だったものが「奥の細道」の中でタイトルのように改められています。この時の蝉は何ゼミか?気になるのは私だけでしょうか。実は大正から昭和前期に歌人として活躍した「斎藤茂吉」も気になったらしく、このセミはアブラゼミだと断定しました。これに異論を唱えたのが独文学者の「小宮豊隆」、東北(帝国)大学法文学部の教授です。1927年春、東京神田で当代有数の文人たちの宴があり、茂吉と小宮豊隆もその席に招かれていました。活発な文学論が交わされ大変愉快な会になったらしいのですが、その席上で小宮は、そのセミはアブラゼミではなくニイニイゼミに相違ないといいました。「しずかさや」や「岩にしみいる」という句は威勢のよいアブラゼミでは似合わない。また、芭蕉が山寺で句を詠んだのは元禄2年5月27日、太陽暦では7月のはじめとなり、まだアブラゼミは鳴かない季節だという指摘でした。ところが茂吉は議論となると絶対に後ろを見せぬ男だったので、この時も決して承服しませんでした。と、息子のどくとるマンボウこと「北杜夫」が「どくとるマンボウ昆虫記」のなかで詳細に語っています。
アブラゼミ
現地調査で確認!
要約すると、芭蕉は近代人の感覚を持っているので、アブラゼミの蝉時雨(せみしぐれ)のなかでも静寂を感じることができ、かつニイニイゼミのほそい声をもって、岩にしみいると吟ずるのは、あまりも当然すぎておもしろくない。とう意見でした。また、時期的にアブラゼミは鳴かない、とした指摘については、現地調査を実施し確かめていました。昭和3年の夏、ついでではありましたが、山寺に行きアブラゼミとニイニイゼミの両方の声を確認しました。ただ、8月3日の事だったので証明にはならず、持ち越しです。翌年、現地の人から7月初めにアブラゼミが鳴いていることもあるとの手紙をもらいました。そして、その翌年の7月4日の夜に勇んで出かけましたが、残念ながら大雨。翌日も雨で、確認を断念して帰ってきました。ただ、現地の人にセミの採集を頼んでいて、8月に当地を訪れ、大多数のニイニイゼミの中にアブラゼミの姿も確認し、写真にも残しました。やりました! 3年越しでの確認です。これで反論できます。
ニイニイゼミ(羽化直後)
生物学と文学
ただ、茂吉はアブラゼミ説を主張せず「動物学的にはアブラゼミの可能性もあるが、文学的にはまずアブラゼミを否定していい」と記しています。北杜夫によれば、これは茂吉の行動としては稀有なことで、いざケンカになると、つまらないことでも烈火のごとく怒り、「俺と戦うものは必ず死ぬ」と過激な言葉をわめき散らし、その通り相手を面罵し、圧倒し、打ちのめす、それが茂吉のやり方だというのです。さすが、身内のコメントですね。おそらく茂吉は小宮氏の指摘に、内心はシマッタと思ったが、生来の負けず嫌いから、手間暇のかかる蝉調査に表れ、その調査期間に興奮が冷めてきて、あまりにも主観的すぎることに気付いたのでは、と北杜夫は分析しています。さらに北杜夫は生物学的にはエゾハルゼミもあるが、鳴き声が滑稽なので…とも期しています。たしかに、エゾハルゼミの声はミョウキン、ミョウキン、ケケケケケを繰り返して鳴くので、納得です。
永遠の謎…
中尾舜一著「セミの自然誌」にもセミ論争が載っていて、1929年の「河北新報」にニイニイゼミとした小宮氏により論争の詳細が寄稿されている、との一文もありました。機会があればぜひ読んでみたいものです。内容的には茂吉の性格や心情についてはふれていませんが、より具体的に書かれています。「時期的にはエゾハルゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、ヒグラシの可能性があるが、ニイニイゼミ以外は終鳴期や鳴きはじめなので、共に出現期に難がある。鳴き声もその3種は句にそぐわない。結果、芭蕉の山寺のセミはニイニイゼミ以外にない」と結論付けられています。
山寺芭蕉記念館のHPでもセミ論争が紹介されていて、昭和5年8月初めの調査によって蝉を捕獲したところ、確認されるセミのほとんどはニイニイゼミで、アブラゼミはほんのわずかでした(因みに、芭蕉が山寺を訪れたのは新暦7月13日であるので、調査は時期遅れといえます)。その結果を知った茂吉は、自説を撤回したのでした。と書かれており、結果は同じですが過程に違いがみられます。芭蕉の訪れた、7月13日頃にはヒグラシも鳴くことがあることも紹介されており、「芭蕉が聞いたセミの鳴き声が、何ゼミのものであったかは、永遠の謎と言えるでしょう」と結んでいます。
蝉しぐれのなかで
私としてはヒグラシを推薦したいです。どこか悲しげで、岩だけではなく人の心の中にもしみこんでくる、そんな鳴き声ですよね。温暖化が進みセミの発生も早くなっていると言われていますので、今の時代ではありですが、芭蕉の訪れた時期には土の中だったかもしれません…。セミ論争はさておき、蝉しぐれの中、一時、心を休めてはいかがでしょうか。
ヒグラシ(羽化直後)
アブラゼミ(羽化直後)
- 【参考文献】
- 中尾舜一致『セミの自然誌』(中公新書,1990年)
- 北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』(新潮文庫,p141-149,1966年)